長らく休んで申し訳ございません

『足袋人レター』は甍屋の会社ブログであり現場仕事を中心とした常々の日常を綴ることを目的としています
甍屋はどんな会社なのか 
業務内容は何?
これらを主として平成十九年より発信を継続し気が付けばもう丸十五年
よく続いたものです

しかしながら予期せぬことでここのところ更新が止まってしまいました
自身の時が止まってしまったのです

先週の土曜日
二月六日
父が逝去しました
最後は脳梗塞でした

元々の仕事の影響からなのか肺が悪く他にも様々な病に冒され晩年は入退院を繰り返しました
入院が長引くと寝たきりの生活になる為足腰が段々と弱くなっていきます
頭はしっかりしていても歩行が困難なため介護施設に入ってもらいました
病院だと面会もそれなりにできるのですが介護施設はそうもいきません
コロナ禍だからと言われればそれまでですが血縁関係の濃い親戚でも会うことはできません
六日の夕方に状態が良くないと最初の連絡が家族に入り 家を出る準備をしていた矢先に二度目の連絡
その時にはもう間に合わないこともみんな理解できました
私が病院に着いたのは息を引き取ってから三十分後くらいだったと思います

この時から私の時間は止まりました

通夜と葬儀の手配
病院にいた母・姉・父の妹と相談し遠方の親戚には連絡だけをして来てもらわないようにすること
高齢者も多くコロナの事を考慮しました
最少人数の家族・親族だけで最後送りたかったのもあります
実家での通夜には私の従兄妹達も顔を出しましたが葬儀は二十人ほどで
喪主は長男である私が務めました
自分の子供たちの前では涙だけは絶対に見せまいと思っていましたがそれも叶わず最後の喪主挨拶時は泣いてしまいました
葬儀の後は様々な行政関係の手続きもありあっという間に一週間が経過
初七日も終わりました
母には基本的には家でいてもらって姉と分担できるものはそれぞれがし二人でするべきものは二人で協力して行うことで少しずつ前に進んだ気がします
仕事の関係者には一切伝えてなかったので普通に連絡は来ていましたがスタッフが無事に対応してくれて事なきを得ました
外では陽気で冗談ばかりを言ってた父も家では基本無口で頑固
優しくもあり厳しくもありその過程で衝突することも数えきれないほど沢山ありました
結婚後すぐに実家を出た私は長い会話をした記憶もなく仏前で色々と話したかったことを伝えました
孫たちとの楽しい時間をもっと過ごしてもらいたかったと思っています
残念なことしか今は頭に浮かんできません

この世に生を受けた者はみんな平等に死が訪れます
それを受け入れるのも人の宿命でありみんな乗り越えていっています
突然だったことが受け入れることに時間を要します
死を避けることは不可能ですが日々私が言っている安全第一・健康第一は全てそこに繋がります
健康なことが何よりも幸せだという事なんだと

明日一日休みをとり気持ちを引き締め直し仕事にも徐々に復活してまいります
背負うものがある間は頑張れます
いや 
頑張るしかないのです

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